突如こんなにもあいだがあいてしまったら、もう読んでくれるひとはほとんどいないかなあと思いながら。

このブログになかった6月は、
前半は友達がたくさんいっぺんに家にきてくれて、母が来た。
そしてその母に「来週のおわりから一人旅にいってくるわ」と告げると、「結婚しているのになんでそんなことをする必要があるの」とそこまでとは思わぬくらいの猛反対にあい、ひたすらその反対は続いて、その反対がそのほかの要因ともごちゃごちゃになっていくのにげっそりし(念のため、母は心底わたしの心配をして、反対していたのだ、それは痛いほどわかってた)、ならばもう一人旅なんて取りやめようと、もぬけの殻になった。そしてそのあとの2日とちょっと、都合30時間、ひたすらウォンビンの韓国ドラマを見続けた。その後も朝昼晩朝昼晩朝昼晩と行きたい・行かないの心は変わり、家のなかには嵐の風が吹いていたことと思う。最終的に、買っていた航空チケットに記載された出発日3日前、「やっぱり行こう」と心が決まった。

それから一応はどこに行くかの足どりをリストにして、宿の予約と確認をこなした(とにもかくも家族への安心のため)。

インドへ2週間、そのあとロンドン、ポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ロンドンと2週間、計4週間の一人旅。

でも、旅そのものよりも行く前の騒動のほうがよっぽど大変だった。

とはいいつつ、最後の最後の夜にのどを痛めたうえ、エア・インディアでロンドンからムンバイへ、そこで乗り換えてデリー・バンコク経由で帰ってきたルートはやっぱり疲れた。きっちり風邪ひいて、帰ってきて2日間は寝づめに寝た。

このあとは、心の整理を、逃げないでやらないといけないと思う。
それが終わったら、旅の整理もできたらいいのだけど。でも、その前にやらないといけないことがある。


ひとつだけ。
ロンドンのテロ第1報は、スロヴァキアにいるときに知った。
それを知った日は、本当に心底怖かった。帰りの飛行機はロンドン発、でももうそんなロンドンには戻りたくないとその日の夜は真剣に思った。
スロヴァキアで泊まっていた部屋にはたまたまテレビがあったけど、英語ニュースの流れるチャンネルがなく、文字スーパーすら流れない現地の言葉ではまったく様子がわからない。
挙句の果て、そんなさなかに隣の部屋のカップルから漂ってくる雰囲気に驚き、思わずスロヴァキア語のニュース番組もプチッと消してしまった。
まさに悩ましかった(はじめてこの単語、正しく使っている気がする)あの時間。

テロのロンドンに戻りたくないと咄嗟に、でも確実に思った私には、ジャーナリスト魂なんて宿ってないということかと思った。次の日からは、せっかくなんやから、そんなロンドンを見てみたいと思ったけど、でもそれは一晩寝て起きて思ったことだった。

結局ロンドンに戻った、7/12、13、14。あまりにもたくさんの警察官と警備員、そして花束。迂回しなければならなかった地下鉄。でも同時に、やまほどの観光客がいた。私もまた、そのうちのひとりだった。