よみがえる

ずーっとずーーっと過去のことばかり考えていたら、あるいは整理していたら、突然思い出す事柄があるらしく。思い出はときどき自分には大切なものなのに、自分以外の人にとってはまったくどうでもいいであろうことが悲しい。すごく悲しいと思う。

  • 針山とちらしずし

いま一度「結婚祝いはなにがいい?」と聞かれることがあれば、裁縫道具と答えたい。手元に簡単なソーイングセットなるものはあって、ここ4年ほどはそれで事足りてきたけれど、裁縫箱も持っていないことにふと心細くなる。裁ちばさみ、糸きりばさみ、指ぬき、いろんなボタンをいっぱい集めたの、なかから髪の毛がでてきてとても怖いと思っていた針山。針山に詰めてあるのは髪の毛だったから。いま針山ということばを思い出せただけでも、なんだか胸がいっぱいになってしまう。

私の母は別にほんとうになんということはない、私がおもうところのいわゆる田舎から京都にでてきて、そのあと結婚して大阪でこどもが産まれて。いまちょうど50才くらい。

そんな人生の母は、でも裁縫箱を持っていた。ハレの日はちらしずしだった。残ったちらしずしにはぬれ布巾をかけて置いてあった。そんなこんながとてもうらやましいと思う。

ちらしずしは「ごちそう」だと頭の片隅で思いつつ、私のちらしずしは『すし太郎』をまぜるだけ。それが悲しいことなのか、仕方のないことなのかは、正直なところいまは、そしてたぶんこれからも、あまり考えたくない。

  • 校歌と洗剤

国立の中学校に通ってた。その校歌が嫌いだった。もう忘れてしまったけれど、ようするに国立なので、何かに万歳を強制されるようなそんなかんじの校歌(だったと思う)。

全校朝礼があって、副委員長かなにかをやっていたので、クラスの整列の一番前に立たないといけなかった。で、校歌を歌うのだけど、嫌いだったからいつも歌わないでやりすごしていた。

そしたらこれまた大嫌いな音楽の教師がトトトとやっていて、「なぜ歌わん?」と言う。「歌いたくないから」。

「・・・・・・」。しばし無言のやりとりは続いて、突拍子もなく、「なあ、なんで洗剤を使って洗濯したらきれいになるかわかるか?」と聞かれた。「漂白剤が入ってるから」と答えた。
その瞬間、その先生は何も言わず、去っていった。

この前なぜだか突然このやりとりが頭によみがえって、あれは何やったのか、あの先生の言いたいことは何やったのか、いまだに分からなくてほとほと困ってしまった。中学生のころから、私は何も成長していないということかな。いま考えても傑作の返答だったと思うけどな。

ごめんなさい。