屈折

拳銃を奪って逃走した二人組みのことを、昨日の朝日新聞朝刊はブラジル国籍、ブラジル人のふたりだと書いていた。
ニュースで、愛知のブラジル人と聞いたときに「日系人かな」と思っていた。新聞で名前を見て、やっぱりそうだったんやなあって思った。

今日の朝日新聞夕刊の文化面に、カナダ人の環境運動家の記事が載っていた。日系カナダ人だと書いてあった。

同じ記者が書いたわけではないだろう。ひとつの記事に「日系」と書かれてあって、もうひとつには「日系」がついてなかったことに、特に意図はないのかもしれない。

でも、どちらの記事も「日系」はキーワードにはなりえたと思う。
逃走につかった車の所有者名は昨年ブラジルに帰国した人のもので、現在誰が乗っているかがすぐにはわからなかったこと。所有者の手続き変更をすることなく、日本に残った人たちが乗り継いでいる、車検は切れ、自動車税支払いの封書は誰にも届くことなく宛て先不明で戻っているはず。日系ブラジル人社会のなかで、起きている話だ。
日系カナダ人の環境家の話は、来日講演に合わせたインタビュー、自然と「日本」もインタビューのテーマになっていた。

それでも前者は「逃走している外国人二人組み」あるいは「ブラジル人」として話され、後者はカナダ人ではなくわざわざ「日系カナダ人」と呼ぶ。

そういう日本を暗いと思う。
でも、拳銃を奪った彼らも悪いけど、自分たちだってふたりでパトロールしてたのに盗られた警察もあかんやろと思う、外国人びいきの私も屈折しているなとは思う。