ものの見方

中越地震では約束されていた特別立法が出されなくて、阪神大震災ではもっと手厚い復興支援だった、首都で同規模の地震が起きたらこんな程度の支援で済むはずがない、という声を新聞で読んでどきっとする。

神戸の地震はこれから何年が過ぎても、少なくとも何年前のことか数えることができる。でも……。

すべてのことをすべて等しく考えることなんかできなくて、そんなことずっと昔から知っている。
大学時代は文化人類学というのに触れて、ビルマカレン族が、というようなことを知って、でもそんなこと知ってどうするの? という疑問とは常に背中合わせだった。ミクロな視点だとか、マクロに考えるだとか。
ミクロな視点、それはもしかしたらビスケットの穴から世界をのぞくようなものか、それはいいなーなんて納得したこともあった。

ラグビー部のマネージャー時代に手鏡にうつしてグラウンドをみると(けっしてあやしい使い方ではなく!)、いつもは?な部員のみんなが妙にキラキラとかっこよくみえてびっくりしたり。

思わずいろんなことを思い出してしまい、手が止まってしまった。