傍流をいきたい

今日はラジオの日。
ジャーナリスト講座で、ラジオ制作にたずさわっている方の話を聞くことができた。

授業のなかでのやりとり。「ニュース1本あたりにかける時間について、TVがラジオよりも短いわけは?」という問いかけに対する答えが意外だった。

私が予想した答えは
:テレビでは映像が言葉を補うことができるから。

だが今日聞いた回答は「テレビには映像があり、映像に合わせて作る必要から短くなる」。映像に合った言葉をはめていかなければならない制約があるという、どちらかというと、テレビのつくりにマイナスのニュアンスを感じる答えだった。

テレビが絶対ではないはずだという意地。

エリートもいいと思う。でもやっぱり「王道」は苦手。どうも最近、はみでていたいなという欲望のなかで生きている。わざわざ「はみでていたい」と望む気持ちが、どれだけ身勝手なものかと自問自答を繰り返しつつ。