新聞販売店

奈良の小学生の事件。
容疑者が新聞販売店勤務だった。

私の父は大阪で新聞販売店を経営している。今回、繰り返し言われる「元毎日新聞売店員……」の前ふりを聞くたび、沈む気持ちがある。
しかも父は今回の容疑者に会ったことがあるという。父と近しい人が経営している別の販売店で彼が1ヶ月ほど雇われていたことがあり、そこで顔を合わせたことがあったと。

「最近景気がよくなったみたいで困る」と父はこぼす。景気が悪いと、優秀な人材が世にあぶれ、そんなひとたちから新聞販売店にも応募がくる。景気がよいときには、人が集まらない。それが新聞販売店だ。
大学時代の最後の一年ほど、父の販売店で仕事させてもらっていた。まあいろんな人がいる。ヤクザまがいの人の出入りもあったし、社員が借金している消費者金融から電話はかかってくるし、クスリの問題もあったし、集金にいったらオバちゃんがバスタオル一枚ででてきてびっくりしたこともあった(そうやって誘惑する人がいるという話を聞いていたことはあった)。そしてもちろん、淡々、淡々と仕事する人もいる。朝刊、夕刊を配る社員は一日2回寝て起きる生活で、慣れているとはいえ大変に違いない。

私自身はあろうことか新聞記者志望だったけれど(でも父が販売店経営でもコネのコの字にもならないのは面接でよーくわかった)、でもいくら新聞記者が偉くて、記事を書いたとしても、父のような人がいなければ売れないし、家庭に配達もされない。どちらかといえば、記者よりも新聞を売って配る人のほうが「上」だという思いすらある。

作ったって売れなければ意味がない。でも作らなければ売ることすらできない。いいものを作れば売れる?

そして今、この辺りのことを会社で雑誌をつくりながら考えている(結局新聞記者にはなれなかったのです)。

職業にも人にもやっぱり貴賎はないと、私は思っている。