わからない

灰谷健次郎『太陽の子』を読む。この本を読むのは何回目だろう。読み返した数は、たぶんこの本が一番多い。たいがいの小説の内容を、どんなに感動しても私はすぐに忘れてしまう性質なのだけど(本当にどうしてそうなのかわからない...)、でも『太陽の子』だけは残ってゆく。それでも何回も読み返す。


先日、匿名報道について考えさせられることがあった。匿名で報道することの、実はそこにひそんでいる怖さ。匿名は名前を消すことだ、それはつまりその存在を消してしまうこと。存在がなかったことにされてしまうのだ、と。
名前はかけがえのないもの。名前は絶対に人に渡してはいけない。たとえば『千と千尋の神隠し』で、千尋が千と番号で呼ばれることへの言及もあった。

匿名報道とは、未成年者や容疑者人権を守るものという考えしかなかった。「匿名報道にひそむ怖さ」だなんてあまりにも初めての視座で、とまどった。


神戸のサカキバラ事件があったとき、当時14歳の少年の顔写真と実名を新潮社の雑誌が掲載した。そのとき、灰谷健次郎実名報道への抗議として、新潮社からの版権を引き上げた。新潮社からの出版を一切拒否したということだ。
私は「新潮社」という名前を聞くたび、目にするたび、今でも必ずこのことが心に戻ってくる。自分でも執念深いと思うけれど、それくらい灰谷健次郎に受けた影響は、大げさかもしれないけれど、人生のなかで大きい。

でも、匿名報道のこと。名前について。いま考えはまったく定まらずにぐらぐら揺れている。